誰もが使いこなしているSNSは、誰とでも繋がることができるコミュニケーションツールです。
残念ながら、対面でのような相手の熱量を感じることはできません。
文字のやりとりだけでは、対面での肌で感じるようなコミュニケーションをとることはできません。
話し上手聞き上手にはなれないようです。
そんな時代、会話の技術を学ぼうと、若手による落語会が開かれる新しいタイプの寄席が若者に人気のようです。
小さな落語会ができる場所や、若手落語家の定期的な落語会も増えています。
ライブ感が受けているようです。
どこか憎めない間抜けな人物が生き生きと語られる落語の世界は、若者にとっても共感できる世界なのかも知れません。
落語は高度な芸を必要とする日本の伝統芸能であり、究極の話芸といっても良いでしょうね。
『落語って?』
伝統芸能である落語は、滑稽な話、ほろりとさせる人情話、お化けが出てくる怪談話の3つに分類されます。
演じ手である落語家は、手ぬぐいと扇子のみを使ってどんなものでも表現します。
語り、身振り、手振りで何役もの人物を演じ分けます。
大がかりな舞台装置などは必要としません。
話し手である落語家の技巧と、聞き手である聴衆の想像力で物語が広がっていく、ほっこりとした不思議な時間が流れていきます。
落語には、滑稽な話が多く笑いを誘う演目が目白押しですが、話の最後には“落ち(サゲ)”がついており、さらに聞き手にくすぐりを残して話が終わります。
落語家は、話の本題に入る前に世間話にも似たおしゃべりを入れます。
“まくら”といわれています。
演目である話の背景などに軽く触れ、聞き手に心の準備をしてもらいます。
また、聞き手の気持ちを惹きつけるための前準備であったりもします。
落語の構成は、まくら、本題、落ちの3部構成と言ってもいいでしょうね。
落語の歴史
落語の始まりはいつ頃?
落語の始まりは戦国時代まで遡ります。
何とも歴史のある芸能なんですね。
戦国大名に仕え、面白い話しを披露し笑わせる“御伽衆(おとぎしゅう)”が落語の始まりとか。
この時代、文人、茶人でもあった僧侶の安楽庵策伝が、秀吉の前でオチのついたおもしろい話を披露したそうです。
策伝は、約1,000話にも及ぶ笑い話を集めた「醒睡笑」を残しています。
落語の元になったものが多くあるようです。
江戸時代元禄期になると、滑稽話を有料で聞かせる人が現れました。
人が集まるお寺の境内や街頭が会場と化したのでしょうね。
料金をとって、おもしろおかしい話を聞かせる、落語家の誕生です。
辻噺と言われます。
寄席の誕生で落語は庶民の娯楽として確立
寛政期(18世紀末)になり寄席が誕生します。
それまでは、寺の境内や町家などの会場を借りて不定期開催でした。
その後、場所を決めて入場料を徴収する商売が始まります。
有料で定期的な開催となると、リピーターも生まれ話し手も工夫なしでは飽きられてしまいます。
寄席ができ、話し手も片手間ではできなくなってしまいました。
京都、大阪、江戸で落語家が登場!
元禄期、同じ頃に料金を取り辻噺を行った3名の落語家の祖と言われる人物が登場しました。
京都では、露の五郎兵衛が京の大道で活躍。
大坂では、米沢彦八が登場し人気を得ています。毎年彦八まつりが行われているほどです。
江戸では、大坂出身の鹿野武左衛門が座敷に呼ばれて披露した座敷噺が評判となりました。
落語は脈々と続いている日本の究極の話芸
落語は、時代の流れとともに隆盛と衰退を繰り返し現代に至っています。
ところで、現在の落語スタイルを作り上げたのは初代三遊亭圓朝とされています。
それまでの歌舞伎をまねた芝居噺を止め、現在の落語スタイルに切り替えています。
明治の時代になり、新政府から落語禁止令が発令されました。
必ずしも守られたようではなかったようですが、これを機に鳴り物や大道具を使った芝居噺から、現在の主流である扇子と手ぬぐいだけの落語スタイルに変えたのが初代三遊亭圓朝でした。
かつての落語ファンは年寄りばかりのイメージがありました。
ところが、実際はそうではないようです。
テレビのスイッチを入れると、バラエティ番組の司会者、情報番組ではコメンテイター、旅番組などのナレーターなどを務める落語家も多くなりました。
活躍の場が広がると同時に、落語ファンのすそ野も広がりを見せています。
今や落語は、従来の寄席やホール落語だけではありません。
若手による小さな落語会や、落語初心者や若者が足を運びやすいライブ感のある落語会が増え、根強い落語ファンが増えつつあります。