今回は上方落語の代表的な演目「野崎まいり」の紹介です。
毎年5月に行われる野崎参りは、慈眼寺での「無縁経法要」のことで始まりは江戸時代元禄期の頃まで遡ります。
慈眼寺は、地元大東市では「観音さん」と呼ばれ親しまれています。
大阪中心部からそう遠くなく、行楽を兼ねてお寺詣でができる、今でも人出でにぎわいます。
当時は陸路と水路が並行しており、参拝者は陸路だけでなく船を利用する人も増えていったそうです。
江戸時代、八軒屋家浜(はちけんやはま)船着き場から船で寝屋川をさかのぼり、野崎観音詣でに出かける人が多かったとか。
現在の大阪天満橋京町・北浜東に船着き場があり、その係留施設は観光用として整備され利用されています。
この噺は、陸路で向かう人と船を利用する人との口喧嘩が繰り広げられる設定になっています。
そのやりとりを面白おかしく描写する、落語家の技量の見せどころとなっています。
落語「野崎まいり」の聞きどころ
野崎まいりは、1933年に発表された歌謡曲「野崎小唄」が大ヒットし、一躍全国の人が知るところとなりました。
落語では、陸路で向かう参拝者と船を利用する参拝者どうしが、互いに悪口を言い合う口喧嘩の様子を面白おかしく表現されます。
当時この口喧嘩は恒例となっており、変わった風習があったものです。
けっして怒ってはいけない「ののしり合い」だったとのこと。
今では考えられない、大らかな時代があったのですね。
船での野崎まいりが盛んになっていった頃のことです。
陸路を歩く参拝者との「ののしり合い」に勝てば、その一年福が訪れるという「ふり売り喧嘩」の様子が演じられます。
なんともこっけいな風景を、落語家の話芸により上方らしい雰囲気で噺が展開していきます。
落語「野崎まいり」のあらすじ
登場人物は喜六と清八。
二人は5月の爽やかな陽気に誘われて野崎まいりに出かけます。
片町から京橋を過ぎ徳庵堤へやってきます。
「もう足が痛くて歩けない」という喜六に、清八は船で行くことを勧めます。
船が苦手な喜六は渋りながらも船に乗り込みます。
二人は船に乗り込みますが・・・・・
船尾に座っていた喜六に船頭は、
「すまんけど、手助けに艫(とも)を張って(たたいて)もらえんか」と頼みます。
勘違いした喜六は、清八の頭を殴ってしまいます。
「友達の頭どついて(殴って)船が出るかい!」
「そこの杭をもって気張って(力を入れて)くれ、っていうたんや!」
喜六は力を込めて杭にしがみついてしまったので、船が出るはずがありません。
「その杭を突いてくれ、ちゅうのがわからんかぇ?」
やっと船を出発させることができました。
ふり売り喧嘩
喜六は堤を歩く女性を見てはしゃいでしまい、清八にたしなめられます。
清八は喜六に「ちょうどええわい、土手歩いている連中と喧嘩せぇ!」
「土手の上から石投げられたら逃げられへん、負けるでぇ!」
「アホやなぁ、野崎参りでのけんかは“ふり売りけんか”っていうてな、手をださん口喧嘩はここの名物や。」
「けんかに勝てばその年の運がええという、運定めの口喧嘩や。」
堤を歩く二人連れに喧嘩をふっかけますが・・・・
清八は喜六に、土手を相合傘で歩いている二人連れに喧嘩を吹っ掛けろと勧めます。
喜六
「どない言うたらええねん?」
清八
「おーい、そこの女に傘をさしかけてる奴~。」
「夫婦(めおと)気取りで歩いてけつかるけども、それはおのれの嬶(かか)やなかろ。」
「どこぞの稽古屋のお師匠(おっしょ)はんをたらしこんで、住道あたりで酒塩(さかしお)で胴がら炒めて、ボ~ンと蹴倒そう(=わが物にしよう)と思てけつかるけど、お前の面では分不相応じゃい。」
「稲荷さんの太鼓で、ドヨドンドヨドンじゃ」、と「こういうたれ!」
喜六
「・・・・それわいが言うんか?」
清八
「横から教えたるさかい、呼び止めェ!」
喜六が口喧嘩に挑みます。
喜六の頭では覚えられません、しどろもどろになってしまいます。
土手の男
「……それは違いますぞな。これはうちの家内じゃ。これから仲よく参拝いたしますのじゃ」
喜六
「へえ。それはまあ、お楽しみ……」
喧嘩が喜六の敗北となりかけたところ、清八が「お~い、馬の糞踏んでるぞ~」と叫びます。
すると、男は「どこに~」と返しつつ、下を向きます。
清八は「嘘じゃ~い!……これでわいの勝ちや」
下を向かせたので、この口喧嘩は勝ちだと言います。
土手を歩く男からの反撃が・・・・・
今度は土手の方から、「片仮名の『ト』の字のチョボがへたった」という声が聞こえてきます。
喜六が「何のこっちゃ?」とたずねます。
清八は「俺が背が高(たこ)うて、お前は背が低い。せやから、お前のことを『トの字のチョボ』、と言うてんのや!」と解説してみせます。
清八が喜六に吹き込みます。
「小さい小さいと軽蔑さらすな。」
「大きいのんが何の役に立つかえ。天王寺の仁王さん、体は大きいが、門番止まりやないかい。」「それにひきかえ、江戸は浅草の観音さん、お身丈は1寸8分でも18間四面のお堂に入ってござる。」
「山椒は小粒でも、ヒリヒリ辛い!と言うてやれ。」
喜六が土手の男に応じます。
「小さいちいさいとセンベツすな~」
清八
「軽蔑やがな!」
喜六
「江戸はな~、江戸はどさくさ、いや深草、浅草や!」
「浅草の観音さんはお身丈は18間でも1寸8分のお堂に入ってござる。」
清八
「そら、さかさまや!」
喜六
「ああ~!さかさまのお堂じゃ!」
「山椒は、山椒はヒリヒリと辛いわい!」
土手の男
「山椒は小粒でもヒリヒリ辛い!と言うんじゃ。」
「おまえのは小粒が落ちとるぞ~」
喜六
「どこに~?」
土手の男
「お~い、チビ!何を下向いとるんじゃ~?」
喜六
「へえ~、落ちた小粒をさがしてまんねん!」
ちょっとだけオチの解説
江戸時代、少額貨幣として流通した銀貨を小粒と呼んでいました。
喜六の喧嘩言葉に「山椒は小粒でヒリヒリと辛い」というところ、小粒が抜けていたんですね。
「小粒が落ちとるぞ~」と言われ、思わず下を向いて小粒を探してしまう、というのがオチになります。